どうもずーみーです。
突然ですがみなさん、コードって一体何でしょう。
文脈によって多少捉え方は変わるかもしれませんが、「異なる複数の音が同時に鳴ったときの響き方の名前」が正解です。認識が微妙にまちがっていたりあやふやな人が多いので、ぜひコードについての認識をクリアにしてください。
コードに対する認識間違い例
・ギターは同時に沢山の音を鳴らすからコードがあるけど、ベースは1音しか弾かないからコードが無いし覚えなくていい
これはコードフォームとコードを混同していますね。たしかに、ベースは通常1音ずつしか弾かないのでベース単体でコードを表現することはあまりしませんが、ギターやボーカルが演奏している音程と重なることで1つのコードを作り出しています。ですので、コードの構成音や役割を知っているかいないかで、ベースラインも変わってくるでしょう。
・コードを覚えれば作曲できる
別に間違ってはないのですが、コードを知ってるだけでなんとかなるのはラフスケッチまでの話です。コードを知らなくても作曲できる人もいます(というか、人類がコードを発明する前から人は作曲していました)
・この携帯の着メロは16音同時に鳴るから16和音だ
wikipediaにこの誤用例載ってて面白いなと思いました。16音が同時に鳴るのが16和音ではありません。ド〜シのなかで何が鳴っているかという話なので、16音同時に鳴っていたとしても、ドドドドドドミミミミミソソソソソであればただのCです。
このような間違いを起こさないために、コードとは何たるかを、正確に認識しましょう。
コードの歴史
コードが生まれたのはコードが必要だったから、というわけで歴史から見ていきます。
コードネームは20世紀前半に発明されました。しかし、wikipediaには”バークリー音楽大学の教授 Jerry Gates は「コードネームはファーディ・グローフェ(1892 – 1972)とジェリー・ロール・モートンにより発案されたと聞いている」と述べている。”とあり、あやふやな情報しか出てきません。
作った人はともかく、コードができた背景にはそれなりの歴史的な要請がありました。それまでクラシック音楽は、すべてのパートが楽譜に起こされていたので、演奏者は楽譜通りに演奏すればよかったわけです。それに対して、1900年代初頭に起こったジャズは即興演奏を重視するため、緻密な楽譜を書かなくても伴奏を付けられるように、和音に機能的な名前が付けられたわけです。(クラシックでも「Ⅲの和音」とか「ナポリの6度」とか和音に名前がないわけではありませんが、システムとしての機能性はありません)
コードの歴史はジャズの歴史と切っても切れない関係にあり、とても1段落では書ききれませんが、こちらの本に面白く書かれています。
コードを絶対視しすぎてない?
前述したように、コードは「即時に伴奏できるよう、演奏者のために作られたシステム」です。言い換えれば、「即興で演奏できるよう、緻密なボイシングや作曲者の細部への意向は犠牲にして、手軽さに重きを置いたシステム」なわけです。ですから、コードから外れた音を弾いているからダメだとかはナンセンスな話で、響きがよければそれでいいですし、コードがあっていたとしても構成音の流れを考えないでコードフォームを選ぶのはいいとは言えません。
コードから楽曲を作るときの注意点
コードは利便性優先のシステムですから、コード進行にメロディを付けたあとに、しっかりと「編曲」する必要があります。このとき「ギターやピアノが和音を全部弾かなくても、全員が鳴らしている音が組み合わさってそのコードになればいい」ということを意識してください。ベースは弾く音を変えればコードネームは変わりますが、そのほうがしっくりくるのであれば積極的に変えましょう。あくまで主役はメロディです。コードはメロディのためにあるということを忘れないでください。そして他の楽器も、コードではなく、自分のメロディ(フレーズ)を弾くこと。緻密に作曲をする前提だと、各々が自分のフレーズを弾いた結果、あるコードに聞こえる、という順序が本来的です。コードから作るということは「仮想的に枠組みを作って0から1を作りやすくしている」ということです。
また、コードから作ると、一般的なコードでは表せない表現の可能性を削ぎ落としてしまう可能性があります。モーダルなパートや、四度堆積など、いわゆるコード理論の範疇外の表現は生まれません。これらは名前こそ聞き慣れないかもしれませんが、普通のポップスの中にも当たり前に組み込めるものです。まぁジャンルにもよるかもしれませんが、ちょっとでも新しい表現・他と違う表現を目指しているのであれば、これは本当にもったいないことです。
個人の信条が多分に混じりましたが(ブログだから当たり前か)作曲の参考になれば幸いです。
ずーみー@zoooomyでした。